ホンダ、F1活動終了へのシナリオ
青天の霹靂とはまさにこのようなことを言うのであろう。2020年10月2日、ホンダがF1活動 の『終了』を発表した。世界中のF1ファンがこの発表に度肝を抜かれたことは言うまでもなく、 その中でも日本のホンダF1ファンは絶望的なショックを受けたようだった。ファンの心に沸々と湧き上がる、こらえようのない怒りと悲しみのメッセージは(もちろん擁護や理解の声も)瞬く間にSNS上に溢れ、その連鎖は今も収まる気配が見えない。
ホンダが公式に発表したところによると、撤退の理由は「カーボン・ニュートラル等の環境対策に、資金や人材などの社内リソースを振り向けるため」とのことだ。
2015年から始まった第4期ホンダF1活動。ホンダは『F1はずっと続ける』という言葉と共にF1への参戦を再開したのだからファンの怒りは無理もない。いくつかのメディアに至っては、過去にホンダが宣言した言葉と八郷社長の記者会見時のコメントに矛盾を見出し、痛烈な批判を浴びせている。しかし、こんな時だからこそ私たちは落ち着いて事態を客観視した方が良い。なぜなら感情論は時に本質を見誤るからだ。
なぜホンダが F1活動終了という決断に至ったのか?
今回は、その真相をF1の世界における「ビジネスモデル」を軸に置きながら掘り下げることにする。
メルセデスのF1活動体制
ホンダのF1活動を振り返る前に、まずはホンダの最大のライバルであるメルセデスに着目しよう。 皆さんはメルセデスのF1活動の体制をご存知だろうか?意外と知られていないのだが、彼らのF1活動は3つの“会社”によって構成されている。
まず一つ目はメルセデスAMGペトロナスF1チーム (以下メルセデスF1)だ。
拠点は南ノーサンプトンの小さな街、ブラックリーにある。メルセデスのF1チームと言えば、このブラックリーの拠点を指す。元々は第三期ホンダF1活動の車体開発拠点でもあり、2008年のホンダF1の突然の撤退後、跡を継いだブラウンGPを経てメルセデスF1の拠点となった。
二つ目はメルセデスAMGハイパフォーマンス・パワートレインズ (MA-HPP)だ。
拠点は北ノーサンプトンの郊外にあるブリックスワースという街にあり、パワーユニット(PU)の開発を担当している。イルモアというエンジン開発会社を起原に持ち、F1には1991年からエンジンサプライヤーとして参戦していた実績を持つ。少々ややこしいのだが、MA-HPP発足後もイルモアは存続しており、MA-HPPから徒歩圏内の距離に拠点がある。
そして最後の一つがドイツのダイムラーAGだ。言わずと知れたメルセデス・ベンツのブランドを持つ、世界トップクラスの自動車メーカーであり、メルセデスF1とMA-HPPのオーナー企業でもある。 しかし、ダイムラーAGはあくまでオーナー企業でありF1の車体開発とPU開発は前述のそれぞれ 2つの子会社に任せ、人材採用もその子会社が独自で実施している。
このように、メルセデスのF1活動はF1チーム運営と車体開発を担うメルセデスF1とPU開発を担うMA-HPP、これら2社によって成り立っており、ダイムラーAG はあくまでオーナー企業としての役割を担っているだけだ。そして、メルセデスのF1活動体制の最大の特徴は、親会社ダイムラーAGとは独立採算制であることだ。
前年度の成績に応じてFIAから支払われるチームへのプライズマネー(賞金)、タイトルスポンサーであるペトロナスを筆頭としたスポンサーマネー、グッズやロゴなどから得られるライセンス収入、さらにMA-HPP製PUをレーシングポイントやウィリアムズに供給することで得られる収入などもあり、オーナー企業であるダイムラーAGの業績に影響を受けにくい体制となってい る。
ホンダのF1活動の特徴
メルセデスのF1活動がイギリスに拠点を持つ2つの子会社によって運営されていることとは対照的に、ホンダのF1活動は一貫して本田技研工業の企業活動として運営されてきた。予算も人的リソースも全てをホンダ本体が負担するスタイルだ。車体も手掛ける「オールホンダ体制」だった第3期F1活動の頃は、現地雇用した経験豊富な車体開発エンジニアを中心に開発していたが、前述のブラックリーにはホンダの栃木研究所の技術者が数多く出向していた。
またホンダのエンジン開発は伝統的に栃木研究所が担ってきた。現在の第4期F1活動の初期、 ホンダは前述したイルモアに協力を依頼したり、IHI製ターボチャージャーを使用した経緯はあるものの、設計と製造はほぼ日本のホンダ社内で行われており、現在のホンダPUは正真正銘のメイド・イン・ジャパン…いや「メイド・イン・栃木」と言って良いだろう。
参戦直後から失敗続きで苦戦していたPU開発は、その後着実に性能を向上させていった。2020年シーズン現在、未だメルセデス製PUに勝つには至っていないが、ホンダPUは2015年の参戦開始当時と比べ劇的な進歩を遂げたことは、誰しもがうなずくことだろう。
しかし、ホンダはコンストラクターではないため、良い成績を残しても賞金はレッドブルが受け取る。またエンジンも無償に近い形で供給していると考えられるため、F1活動における「現金」としての収入は限りなく少ないと推測される。
初期投資以外では“ドイツに住む親の財布”には手を付けず、自分たちの仕事だけで帳尻を合わせながら戦ってきたメルセデスと、“日本に住む親の財布”で戦うことを前提に組み立てられたホンダ。
それでもホンダは『社員の技術力向上』および『ブランド力の獲得』という旗印の下に、自社社員をF1開発に携わらせてきた。これがホンダF1活動の大きな特徴であり、『日本企業と日本人がF1で活躍する姿を見たい、応援したい』という日本人F1ファンの願望にも応えてきた。皮肉にもこの特徴こそがホンダF1活動終了のトリガーとなってしまった、と考えられる。
ホンダが将来にF1に戻ってきて欲しいと願わずにはいられない。しかし、冷静に考える程、 ホンダがF1に戻ってくる可能性はほぼゼロという結論にしか至らない。その理由については後編に詳しく書かせていただこうと思う。
ミナガワのヒトリゴト
ホンダF1活動終了の事実を知ったその夜、私は不覚にも痛飲してしまいました。 当然、私にとってもホンダがF1からいなくなることはとても寂しいことなのです。そして何よりも心痛ましいのは、ミルトンキーンズにあるホンダF1の英国拠点で働く私の先輩の夫が、来年末にも職を失いつつあるということです。闘志を燃やし、苦しい時も戦い続けた彼らの気持ちを思うたび、ビールの空き缶が増えていくのです。
あぁ、無情…(プシュっ!)
“ホンダよ、永遠なれ。 〜課外活動的F1の終焉〜(前編)” への1件の返信